創造システム研究所 代表 講師

さとう秀徳  プロフィール(普段着版)

   



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創造システム研究所
(C)2016


      


      普段着のさとう秀徳(ひでのり)です
 
         ひねのりとも言います。
  
   
  気楽にお読み下さい 公式版はこちら
 
 
             

■湯布院時代
(誕生から中学まで)  
 
本名・佐藤秀徳(さとうひでのり)。昭和26年(1951年)11月5日、大分県由布市湯布院町に生まれる当時はひなびた湯治場だった由布院温泉の近くの城ヶ岳のすそ野(標高500mの山中)で中学まで過ごす4人きょうだい(姉、私、妹、弟)。
 
家はシイタケ、米、野菜などを栽培する専業農家だった。長い間、村おこしのリーダー中谷健太郎さんの経営する「亀の井別荘
にシイタケや有機野菜を供給していた。
 

あのバブル時代、リゾート開発の波が湯布院を襲うが、親父とお袋は立ち上がり中谷さんらと自然を守る(エライ)
このあたりのことは、NHKの「プロジェクトX」(第131回)で放映される
 
湯平小学校時代、片道8km(往復16km)を毎日通う。なにせ道中が長いので、帰りによく道草を食う
笹竹で鉄砲を作ったり、コマ回しやパッチン(メンコ)をして遊ぶ
冬はソリ遊びも。ただし、夏休みや日曜日はいつも家の手伝い(辛かった)
 

湯平中学校(今は湯布院中学校に統合)では、片道4kmを通う。通学がだいぶん楽になる
クラブは卓球部に属すが、まったくの下手くそ。長距離通学のおかげで脚力が鍛えられ駅伝の選手にオンチのため音楽はまったくダメ。工作や絵、それに書道は得意だった
 
 
■大分そして仙台へ(青春時代)
 
(大分では名門の)大分上野丘高校にスレスレで合格。入学時は600人中500番以下の成績。家から遠いので下宿
当時グループサウンドが全盛なるも、勉学にいそしむ。理科や数学は得意でないのに理数系コースを選ぶ(バカだねぇ)。
 
大した学力はないが、この頃から知恵や工夫にたけており、さとう式試験術を開発。徐々に成績を上げていく
卒業時には100番以内に。なお、この試験術を息子にも適用し4か月で偏差値を10以上あげる。
 
大学は、精密工学に憧れ仙台の東北大学まで足を伸ばす。東北から九州の大学に行く人はほとんどいないが
九州から東北の大学に行く人はけっこう多い。九州人は物好きだ

大学では学生寮(日就寮)に入る。寮は、目を覚ますと雪が降り込んでいるような破屋。1年後に建て替えられる
寮主催のダンパ(ダンスパーティ)で妻と出会う仙台は水戸名古屋に並ぶ三大ブスの産地といわれるが……。
 
ときあたかも大学紛争真っ最中。加えて理数系が不得意なため卒業に苦労する(いまだに卒業できない夢を見る)
ちなみに、工学部の異色 (変わり者?)の卒業生に小田和正、田中耕一、そして私がいる。
 

■大津から敦賀へ(東洋紡に勤務)
 
ご縁があって東洋紡(総合研究所)に入社
5年間、繊維の加工装置などの研究開発に従事。特許を40件ほど取得。重要特許として日経産業新聞に取り上げられたことも。
 
東洋紡では、まず大津市の堅田(かただ)に住まう。寮が琵琶湖のすぐほとりにあり、ベランダから琵琶湖に小便が届くほど朝は、対岸から昇る朝日が湖面をはね、そのまぶしさで目を覚ます
 

寮から歩いて5分ほどの所に、一休さんが大悟したという場所がある。カラスが「カア」となくのを聞いて悟ったというこのとき一休さん27歳。ちなみに、わたしは一休さんを師とあおぐが
いまだに小悟もない。
 
1年後、敦賀市に勤務地が移る。移ったその冬に138cm
の大雪(52年豪雪)。国道8号線には
"白いオリ"に閉じ込められた車が延々と続く。その列を横目に通勤会社では一日中雪かき
 
そして結婚。社宅住まい。オンポロ社宅は雪の重さで傾き、ふすまの上と下で10センチもの差がある
床に寝かせたビールビンがコロコロ転がる。雪降ろしで屋根に上ったが滑り落ちそうになる。あんな怖いことはない。
 
北陸の冬は暗い。どんよりとした日が続く。そのかわり、「はい、お待たせ」とばかりドーンと春が来る
気比の松原へと続く笙の川沿いの見事な桜並木が、今も鮮やかに頭のディスプレイによみがえる

装置開発が仕事であったが、新技術の壁に何度もぶつかる。「どうすればいいアイデアが出るか」
、自然とここに関心が向くついには、アイデア発想や創造性開発をライフワークにしようと志す1979年春、27歳。
 

■志を抱いて東京へ(公文そして独立)
 
1980年上京。すぐには独立できないので公文教育研究会(東京事務局)に勤務。奇遇にも
公文公(くもんとおる)会長が創造性開発に関心をもっており、公文の事務所の中に日本創造学会の事務局があった
 

公文では、それまでと180度異なる総務職・営業職を体験する。体験教室(局員が自ら公文式の教室を開き運営)で生徒集めをするが
これが面白い。まあ、ポンビキみたいなもの
 
当時、公文は超優良会社で利益率が30%もあり、ボーナスは平社員でも年間8ヵ月出た(やめなきゃよかった)
教材や学習方法などに、儲かるビジネスモデルを構築していたからだ

1983年に独立し、創造システム研究所を設立。以来、ビジネスパーソンがアイデアと成果を生み出すべく、これまで多くの企業や法人で指導数々の業績アップに貢献する。
 
独立して30年以上やってこれたのは、やはり人との出会いやご縁のおかげ。研修や講演や執筆でお世話になった方々
発想多彩クラブで知り合った仲間に心からお礼を申し上げたいそして家族(妻と3人の子ども)にも
 
今後は、「ただ今日なすべきことを熱心になせ」という釈迦の言葉を肝に銘じつつ
前に進もう!」をコンセプトに、「前に進む発想 実践セミナー」などを通じて、少しでも多くのビジネスパーソンの役に立ちたい。 


■趣味・興味・楽しみ 
 
趣味・興味は、野草の観察とデジカメによる写真撮影。野草のもつ自然な美しさ・たくましさにひかれる。
 
 アカツメグサ(函館五稜郭にて)

また、城や寺を訪ねることが楽しみ。歴史を感じる城内や境内を歩いたり、天守閣や五重塔など木造の高い建築物を見上げるのが好き
 
松本城、姫路城、松山城、熊本城、弘前城、岐阜城、日光・東照宮、喜多院(川越市)、一休寺(京田辺市)、瑠璃光寺(山口市)、法隆寺、東寺、そしてイタリア・シエナの大聖堂、パリのサクレクール寺院などが印象的

 

旅行や街歩きも大好き。遊子会(街歩きの会)主宰。研修や講演のついでにあちこち出没。全都道府県を歩く。それにマチュピチュやモンサンミッシェルも

 

そして川柳(柳名ひねのり)。活動の舞台は主として毎日新聞・万能川柳。選者はコピーライターの第一人者・仲畑貴志さん。今や常連。
 
そこで一句、いや三句。 
 
  運のない人にふられた運のよさ
 
  200円得した妻のデカイ声
 
  性格をピタリと当てる下足番

なお、毎日新聞・仲畑流万能川柳など、ひねのりの全掲載句はこちらをどうぞ。



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